TOP NOVEL INDEX



広すぎる海 3

 夏の日差しは少し和らいだろうか。
 碧は車の窓から空を見上げてそう思った。いや、きっと気のせいだ。まだ早朝だから涼しいだけだ。昼近くになれば、またうだるような暑さがやってくるに違いない。その証拠に、暑がりの陸はもう車のクーラーをつけようとしていた。窓を開ければすむ事なのに、何でクーラーをつけるのか。
「碧、おはよう」
 シロと宗一郎はもうアパートの前で待っていた。思わず時計を見る。まだ待ち合わせの時間にはなっていない。部屋で待っていてくれればいいのに。待ちきれなかったのだろうか。 碧は車を降りた。
「ごめん。待った?」
「ううん。全然」
 着ていたオレンジ色のシャツに、負けないくらいの笑顔。その横で、宗一郎はいつも通りのぼんやりした顔だった。
 あまりに覇気のない顔に、碧は何となくムッとする。せっかく陸が休みまでとってお膳立てしたのに。シロは宗一郎と一緒に行くのが楽しみで仕方がないと、昨日の夜遅くまで何度もメールをしてきて、碧を寝不足にした。そこまでされると迷惑だが、シロとの温度差がありすぎる。もし自分がシロの立場だったら、どうして自分は側にいるのかと不安になる。一緒にいるのか、いないのか。いてもいいのか、よくないのか。どちらでもいい、は一番悲しい。シロだってそんな不安に、何度も押しつぶされそうになっただろうに。
 碧は思わず恨めしそうな顔で宗一郎を見た。宗一郎は、碧が自分の方を向いていることだけはわかるようだが、その顔に浮いた表情を読み取る事はできなかったようだ。少し首をかしげただけだった。
「ねぇ、行こうよ」
 シロが袖を引っ張った。陸は車から降りず、こちらを眺めているだけだ。碧は慌てて、
「うん、行こう。乗って」
 と言った。今日は人数が多いので、レンタカーはRV車にした。多いといっても四人だ。男ばかりで一泊だからさして荷物があるわけでもなく、それこそコンパクトカーでも十分のはずなのに、陸はなんだかんだと理由をつけてRVにした。運転したいだけに違いない。
「俺、助手席ー」
 そう言って乗り込もうとしたシロの襟首を掴む。シャツが伸びるのはお構いなし。
「だーめ。助手席は俺。陸さんに飲み物渡したり、地図見たりしなきゃいけないんだから」
「ウソツキ。カーナビついてるじゃん」
「運転手はカーナビ操作できないだろ」
 碧とシロは、いつものように喧嘩をはじめる。宗一郎はまったく止める様子もなく、それを眺めている。陸も車内からそれをしばらく眺め、堪能してから声をかけた。
「早く乗ってくれないかな。道が混む」
 シロは宗一郎に促され、渋々後ろに乗った。そう。素直に後ろに乗れば、宗一郎と並んで座れるのに。何でわからないんだろう。碧は憮然としながら助手席に乗り込んだ。
 荷物はトランクに入れるほどではなかった。海とはいえ、もう泳げはしない。パラソルも、浮き輪もいらない。海辺でクラゲを見るだけだ。シロには念を入れて、水着はもってくるなと言っておいた。体商売なのに、クラゲにかまれたりしたら事だ。シロはつまらなそうな顔で、
「プールとか無いの?」
 と聞いたが、碧の予約したコンドミニアムには、そんなものはついていなかった。
 車は高速に乗り、速度を上げた。車内は人数が増えたためもあり、気温が上がりすぐにクーラーが入れられた。
「碧、これあげる」
 後ろからシロが、銀色の包みのキスチョコを三つほど渡してくれた。陸は甘い物を食べない事を知っているので、これは碧用だ。
「ありがとう」
 礼を言って受け取り、一応陸にも勧めてから食べ始める。チョコレートは冷蔵庫で冷やしてあったらしく、冷たかった。それを口の中で溶かしながら、ちらりと後ろをバックミラーで確認すると、シロと宗一郎が仲良く、互いのチョコレートを剥きあっていた。宗一郎が先に剥きおわり、シロの口にキスチョコを入れる。少し指先が唇に触れたように見えた。
 何故か碧はドキリとして、慌てて視線を前に戻した。後ろではシロが宗一郎となにかしゃべっていた。
「どうした?」
 碧の様子をちらりと見て、陸が声をかける。
「ううん。なんでもないです」
 シートにもぐりこむように体を埋めて、碧は首を横にふった。
 しばらく走って、サービスエリアで休憩を取った。陸は休憩無しで行くつもりだったらしいが、碧はサービスエリアに車を止めさせた。別にトイレが近いわけではなく、月曜日の休みを取る為に、昨日まで残業をし続けた陸の体を気づかってだ。免許を持っていない碧は、運転がどれだけ疲れるものなのかよく知らない。しかし陸と車で長距離を移動する時は、必ずドリンク剤やガムなどを大量に持ち込むことにしている。
 トイレを済ませて、キョロキョロしながら碧が出てくると、陸は外のベンチで煙草を吸っていた。シロと宗一郎の姿は見えない。
「なにか、食べるか?」
「ん、ううん、いいです」
 朝ごはんは家で食べてきた。おにぎりを前の晩に作っておいたから。ソフトクリームに惹かれたが、やめておこう。まだ朝だし。
「シロさんは?」
 碧が聞くと、陸が煙草を持っていない方の手で売店を指差した。
 早い時間なのに、売店には人だかりが出来ていた。ラーメンやうどん、ホットドックなどの軽食。碧たちと同じように、早朝に家を出て、これからどこかに行こうという人達が大勢いた。
 二人は売店の側のベンチに仲良く座って、朝食を食べているらしかった。おにぎりと、露店のやきそばを二人で分け合っている。顔を寄せ合って一本しかない箸を交互に使って。シロが笑いながらキャベツのしんを避けている。宗一郎が箸を受け取って、シロが端っこに寄せたキャベツのしんを口に入れた。少し笑って、シロの頭を小突く。
 碧はじっとその様子を見た。
 いつも思うが、宗一郎といる時のシロは別人だと思う。普段のシロしか知らない人が見たら、ひっくり返るだろう。確かに、いつも可愛らしく笑っているが、腹の中でなにかたくらんでいる。シロの周囲の人は、それを知っての上で付き合うのだ。表面の笑顔だけ見て、中を見ないふりをしている人。何を欲しているのか中を探りながら、会話を楽しむ人。碧みたいに怒って喧嘩する人。様々だ。中身を空っぽにして笑うシロなんて、ありえない。
 それなのに。
「……仲、いいじゃん」
 わざわざこんな小旅行を企画しなくても、よかったんじゃないか。シロが寂しそうな顔をしたから、つい陸にまで無理を言ってしまったが、誰が見ても十分に仲がいい。今さらそんなことして、なんだかいい面の皮だ。見せつけられているだけである。
 アイスクリーム買ってこようかな。どうせあの様子じゃ時間かかるし。
 碧はふてくされて視線をそらせた。
「つく前から、楽しそうだな」
 陸がその様子を見て言った。陸はいつものシロを知らないから。だからそんな風にのんきにしていられる。いつも碧はシロにひどい目に合わされているのだ。いつものシロはもっと意地悪なのに。
「ですね」
 我ながら、ふてくされた声だと思った。これでは、友人の幸せを祈ってやれない嫌なやつみたいだ。陸に嫌われるかなと不安になり、こっそりと顔をのぞき見る。陸は気にした様子はなく、携帯用の灰皿に煙草を捨てた。
「碧がやきもちを焼く前に、アイスでも買ってやるか」
 そう言って立ち上がった。
 ヤキモチ?
 誰が? 誰に?
 文句をつけようとしたが、咄嗟に言葉が見つからない。目を大きく見開いて、陸の顔を眺めた。陸が噴出してから、ようやく、
「やきもちって、違うしっ」
 と言い返した。それが精一杯だ。
 陸は黙って碧の髪をひとなでして、さっさと歩き始めた。
 



コンドミニアム。ミトコンドリア。  

TOP NOVEL INDEX
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送