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広すぎる海 2

 陸が煙草を買って帰ってきても、シロはまだ同じ体勢でソファーに丸くなっていた。
「寝ちゃったみたいで」
 碧が顔を引きつらせながらそう言った。そろそろ夕刻だ。夕食を二人分にしようか三人分にしようかで悩んでいるらしい。
 床にしゃがみ、そおっとシロの寝顔を覗き込むと、目の端に涙を浮かべながら寝息を立てている、綺麗な顔が見えた。人気があるのは確かにわかる。女の子のような顔だ。
 しかし、すぐ側で碧が怖い顔をして立っている事に気づき、慌てて離れる。何ごともなかったような顔をして、煙草を開ける。
「まぁ、寝かしといてやれ」
 起こすのも可哀想だ。ソファーは占拠されてしまったため。ダイニングテーブルに移る。碧は結局食事を三人分作る事にしたようだ。もしシロが食べずに帰って余った分は、最近は陸には回してくれず、碧の明日の昼食になる。
 流れる煙を目で追いながら、今年の夏を思い出した。
 実家に帰っただけなのだから、両親はいる、兄はいる、甥っ子もいるでかなり騒がしかった。それでも、二人で清流に足を浸したり、庭先で花火をやったり、よい思い出が出来た。大切な人と一緒に過ごした思いではやけに優しく、きれいに見える。
「碧」
 鍋に水を張っていた碧に声をかける。
「なんですか?」
「どっか、行こうか?」
 碧はきょとんとした顔をして、鍋と陸の顔を交互に見た。
「ごはん、食べに行きますか?」
 陸は首を横にふる。
「海、かな」
 そう、海がいい。きっとクラゲでいっぱいになっていて、泳げやしないけれど、やはり夏は海だろう。
「次の週末あたりで、シロ君たちも一緒に。宗一郎君も一日くらいなら休みも取れるだろう」
 碧の顔がみるみるうちに輝いた。鍋を置いて陸の隣まで駆け寄ってくる。
「いいんですか?」
「うん」
 うなずくと、陸の首にしがみついてきた。指先からほのかに大根の匂いがした。今日の味噌汁は大根か。
「ありがとうごさいます。陸さん大好きっ」
 碧のことだ。シロに何もいわずに出かけてしまったことや、自分だけ楽しんできてしまった事に罪悪感を感じていたのだろう。きっと陸が言い出さなくても、シロと二人で買い物に行く事くらいは考えていたはずだ。でも、どうせならば宗一郎も一緒がいい。四人で出かけるのは、あの雪の日に碧が飛び出した騒動以来か。
「シロ君が起きたら、予定を聞いてみよう」
 碧はうなずいて、上機嫌でキッチンにさがっていった。少し、目の端に涙が浮いていたようにも見えたが、見ないふりをしておいた。 
 やがて、キッチンからいい匂いがしてきた。味噌汁と、アサリの酒蒸の匂い。これはいい酒のつまみになる。つまみ食いに行こうかとしていると、後ろから、
「うー」
 という唸り声がした。シロも匂いにつられて目を覚ましたらしい。ソファーの上で伸びをして、目元を擦る。寝起きはよくないらしく、しかめっ面をしていた。しばらくそうして自分がどこにいるのかを考え、やっと状況を理解すると、真っ先にキッチンに飛び込んだ。
「おいしそー、俺の分ある?」
 碧が怒った声でなにか言っている。陸は小さく笑った。
「食べるんだったら、お皿出して! ちゃんと手伝わないとごはん無しだからねっ」
 その声がやけにはっきり聞こえたので、陸は立ち上がってキッチンに入っていった。


 陸とシロは二人でビールを二本づつ開け、碧は先に食べ終わり漬物でお茶を飲んでいた。
「でも、宗ちゃん忙しいし……」
 海の話をすると、シロは困ったような悲しそうな顔をしてうつむいた。
「一日だけでもだめ? だってずっと、どこも行ってないのに?」
 碧はやけに強気だ。いつもとは立場が逆転し、シロは小さくなっていた。
「う、だって。バイトとか、お勉強とか忙しいし」
 陸が大学生だったころ、確かに夏は忙しかった。しかし、それはバイトと遊びにである。バイトと勉強ではない。遊びに行く暇がないほど、勉強をしたりはしなかった。逆は大いにあったが。
「そ、それに」
 シロが小さな声で続けた。
「宗ちゃん、お金もあんまりないし」
 売っ子モデルのシロと、一流企業勤務の陸と、その陸の家で居候になっている碧と。この三人と比べたら、確かに宗一郎の財布の中身は違うだろう。
 シロと二人で暮らしている宗一郎は、実家からの仕送りをほとんど受けず、自分のバイトでまかなっている。生活費はシロと折半。そのため、シロは彼にふさわしくない、畳のささくれ立った小さなアパートで暮らしている。家賃はけして高くはないが、浪費家のシロがいる限り、光熱費は上がるだろう。クーラーはつけっぱなし、水道出しっぱなし、電気つけっぱなし。節約という言葉にはとことん縁がない。こんな人間では一緒にいるだけで、生活費が圧迫する。貧しくなるのも当然だった。清貧生活を愛する碧からすれば、同情はできない。
「交通費はこっちで持とう。レンタカーを借りていくから。それでどうかな?」
 シロはじっと言葉に耳を傾けていた。しばらく考え、
「ちょっと、電話」
 とだけ言って、コソコソと洗面所のほうに歩いていった。
 碧は、ここですればいいのに、という顔をしてお茶を注いで、無言で飲んでいる。陸も無言。廊下の先から聞こえる声に、必死に聞き耳を立てている。しかし、かなり小声で話しているのか、話の内容は聞こえてこなかった。
 しばらくして、シロが戻ってきた。
 彼にしてはめずらしく、緊張しているらしく、顔が赤い。
「日曜日と、月曜日、バイトお休みだって」
 二日。とはいえ、陸は当然月曜日は会社だ。だから当然行くのは日曜日になる。しかし、シロは何も言わずに、じっとこちらを見た。碧もじっと陸を見ている。
「泊りがいいな」
 ぽつりとシロが言う。横で碧がこくこくうなずいた。
「……む」
 泊まりという事は、月曜日も、という事で、それに陸が参加するには、当然会社を休まなければならない。
 じっとシロが陸を見る。碧も並んで陸を見る。
「あー」
 頭の中でそろばんを弾く。夏季休暇、まだ残っている。有給もある。仕事は、まぁ他人に押し付けられるものばかりか。
 陸は両手をあげた。
「はい、わかりました。泊まりで」
 シロと碧が歓声を上げた。




 

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